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名古屋高等裁判所 昭和27年(う)831号 判決 1952年10月13日

控訴人 被告人 中島茂 外一名

弁護人 加藤高允 外一名

検察官 竹内吉平関与

主文

本件各控訴を棄却する

理由

本件各控訴の趣意は被告人中島茂弁護人加藤高允名義及被告人黄双光弁護人来多虎栄名義の各控訴趣意書と題する書面記載の通りだからここに之を引用する。

弁護人来多虎栄の論旨第一点について

論旨引用の刑事訴訟法第百八十二条には共犯の訴訟費用は共犯人に連帯して負担させることができるとありこの文言自体から右費用は必ずしも連帯負担を命じなければならぬものでないことは明白であり、本件記録によると原審に於ける右訴訟費用は同被告人の国選弁護人鈴木貢に支給したもののみであるからこれを被告人黄双光の単独負担とした原審の措置は洵に相当で論旨は理由がない。

弁護人来多虎栄の論旨第二点並弁護人加藤高允の論旨について

本件訴訟記録並原裁判所で取調べた各証拠を調査し、これにあらわれた本件犯行当時の被告人等の地位関係に被告人等の各犯行の動機犯行の態様、犯行後の状況と被告人等の経歴、家庭の状態、資産、生活関係其他を考慮すると各所論の事情を参酌検討してみても原審が本件犯行につき被告人中島茂に対し懲役一年六月、被告人黄双光に懲役一年の各実刑を量定したのは相当と認められ論旨の如く右刑を減軽したり、執行猶予の言渡を為すを相当とすべき資料は毫も発見できないから論旨はいずれも採用できぬ。

以上説明の通りだから刑事訴訟法第三百九十六条に則り被告人等の本件各控訴をいずれも理由なしとして棄却することとし主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 小林登一 裁判官 長尾伸 裁判官 山口正章)

弁護人来多虎栄の控訴趣意

第一点原判決は法令の適用に誤りがある。刑訴第一八二条に共犯の訴訟費用は共犯人に連帯してこれを負担させることができると規定する。蓋し併合罪の審理の手続中に生じた訴訟費用の負担関係に於て両者の間に差異を設くべき理由がないからである。然るに原判決は原審に於ける共同被告人中島と黄とは共犯関係があるに拘らず訴訟費用一切を被告人黄のみの負担とし法律の適用を誤つた不当の判決であつて破棄を危れない。

第二点原判決には量刑を著しく不当とする理由がある。

原判決は其の摘示事実に於て相被告人中島茂に対し公文書偽造行使、公文書毀棄、公文書変造、加重収賄の犯罪事実を認め懲役一年六月に被告人黄双光に対し有印公文書変造、贈賄の犯罪事実を認め懲役一年の各実刑を言渡されたが被告人の左の犯情諸事実を考量斟酌賜わるに於ては原判決は量刑著しく重きに失する不当の判決で破毀を免れない。

一、被告人の性格、年令、経歴境遇、家庭状況 被告人は記録に明かな通り現在三十三歳昭和十三年台湾宣蘭農林学校卒後岐阜高等農林学校に入学し昭和十六年三月同校農芸化学部を卒業し京大農芸化学の武居研究室に於て暫時研究し昭和十六年六月神戸市台神洋行に入社し手伝をなし昭和二十一年独立して神戸に於て大和洋行という貿易商店を経営したが昭和二十三年五月名古屋市の現住所に移り大和食品工業所を開始し現在迄清凉飲料水製造販売業の経営に当つて居り尚お現在東京に於て昭和自動車株式会社と云うタクシー営業を経営中であつて家庭は妻歌子当二十九歳と四歳、二歳の子供二人と四人家族で東京都渋谷区千駄ケ谷町三丁目五番地に居住して居り東京に行つたり名古屋に時々帰る生活であります。資産は自動車工場機械等不動産四、五百万円を所有する青年実業家であつて本件関係証人愛知セルハン株式会社常務取締役大野一義氏、岐阜水産物株式会社常務取締役芳村力次郎氏の両供述に因つても明かな通り被告人は温厚篤実な青年実業家であつて社会的にも信用ある紳士的人物であります。

二、犯罪の内容、動機 本件犯罪は計劃的に為されたるものでなく成行上知らず知らずの内に陥つた行為であることは其の犯罪の内容を検討せば洵に明かな通りであります。(1) 相被告人中島茂との関係 被告人は昭和二十三年五月清凉飲料水製造販売業を開始し営業用オート三輪車の燃料登録等の為め道路管理事務所に出入し同所で係員として居た中島茂と知合つたもので(2) 中古自動車の買入 被告人は昭和二十五年十月頃タクシー営業をやつて見る気になり最初に同五日頃東京で自動車ブローカーからフオード三十八年式を買い続いて同年十一月二十日フオード三十七年式を買い次に昭和二十六年一月八日バツカード三十五年式を更に同年二月六日フオード三十六年式を最後に同月十日フオード三十一年の各箱型乗用車を合計五台買受けたが何れも無籍の自動車であつて、専門家に見て貰つた処此等の車は坐席が小さかつたり或はガソリンを喰い過ぎるので、何れも営業用には不向な自動車許であつたことが判明したので、此等の自動車を転売してタクシー営業に使用出来る車を買代える心算になつたが車籍がないので其侭日本人に売るのが困難であつた。其処で被告人は予て知合の中島茂が陸運事務所の自動車登録関係の仕事をして居るので同人に頼んだら何か便法を計つて呉れるかも知れぬと思い当時自動車ブローカー間の話では戦前の車籍を持つて居る人から車籍を譲受ければ現在車籍がない自動車でも車籍をつける事が出来ると云う話がされて居つたので昭和二十六年三月上句被告人は先づ相被告人中島氏に自分の買つた五台の自動車に相応する車籍を持つて居る人を探して貰うよう頼んだ処同氏は事務所で調査した放送局や青木鎌太郎外数名の人名を教えて呉れたので其等の人々の所へ知合を頼み車籍の譲受交渉をして貰つた処相当の代価が要るとか結局話が纒らず車籍譲受の交渉は不成功に了つたのであります。(3) 廃車証明書関係 (一)一方自動車の売却は同年三月上旬フオード三十八年式が可児ブローカーの仲介で愛知セロフアン株式会社に売る話になり車籍を付けなければならなくなつたので(被告人検事供述書三〇八頁)、「七、私は中島氏に何とかして貰おうと思い三月上旬頃同氏を陸運事務所へ訪ね放送局でも何処でも車籍が譲つて貰えなかつたから何とかしてくれと頼みましたところ同人は自動車廃車証明申請書を出せば廃車証明書が出るようにして置くと承知してくれました<以下省略>、八、中島茂はその日であつたかその後であつたか私に廃車証明申請書の項目の書方を教えてくれ申請人の名義人は判の貸して貰える実在の人がよいと申しましたので私の店に居る羽谷周八郎の名義で申請書を出す事にし申請書に書く車番号は中島氏が何番にせよと指定されました、其他年式車名機関番号等の項目の書方も全部教えてくれました。それで教へられた通り申請書を書いて三月中頃陸運事務所に持つて行き受付に渡しました」と供述して居り被告人は始めて廃車証明書が簡単に交付されることが解つたので其の時貰つた廃車証明書はブローカーの可児に渡し車にナンバーを附けて一緒に愛知セロフアン株式会社へ車を持参して渡し引換に代金を受取つたものであり、(二)其の次は同年四月中にフオード三十六年式の車が東京の方で売れる話があり中島氏に頼み今度は店員伊藤万喜太名義の廃車証明申請書を出し廃車証明書を貰つたが纒らず其の侭となり、(三)同月二十日頃フオード三十七年式の車が東邦交通株式会社へ売れる話があり中島氏に頼んで前同様伊藤万喜太名義の廃車証明書を貰い相手の会社に送付した。(四)同年五月中旬パツカード三十五年式が多治見警察署へ売れる話になつたので中島氏に頼み廃車証明書を出して貰う事になり五月二十九日申請書を出した。其時の名義人は加藤泰三と云い中島氏から指定された名前で被告人が知らない人であつた。処が其時はどうした理由か廃車証明書が貰えなかつたのであります。(五)以上の事実であつて右廃車証明書に関しては、被告検事供述書三〇九頁「証第三十四号自動車廃車証明申請書(羽谷周八郎名義)を示してお示の申請書は私がその時書いて提出したものに相違ありません、この証明申請書は羽谷の名義になつて居りますが羽谷は自動車を所有したこともなく廃車証明申請書が正しくないことは知つて居りました。従而本来なればその様な申請書に基いて正しい廃車証明書が出される筈はないのでありますが中島氏の話では之を出しさへすれば廃車証明書が下附されるようにして置くという事であつたので同氏が陸運事務所内に於て何等かの処置を講じて置き私の申請書を出しさえすれば、こちらの望んで居る証明書が貰えるものと思つて居りました。この申請書を出して暫時く待つて居ますと青い用紙の自動車廃車証明書を係員が渡してくれました<省略>…………勿論申請書自体が正しくないのですからこの廃車証明書自体も本来ならば発行されない所の正しくない証明書である事は判つて居りました。然し自動車ブローカー間では此位な事は普通に行われて居るような事を聞いて居りましたので私も悪いには悪いがひどく良心にとがめる程にも感じませんでした」との供述よりせば当時本件の如き不正発行の廃車証明書が相当社会に流用されて居た事情を推知せらるる。更に中島茂公判供述書「七十問 どうして斯様な間違をする様になつたですか、答 車が古い車で戦時中焼けた車が沢山ありまして之を生かすと云う事は結局国の為めにもなると云う事で部内だけの事でありますが他の業者達が相当な事をやつて来ても焼けたのは大目に見て自動車を殖すという方針で居りまして悪い事ではないと考へていましたので、ついこんなに重つたのであります」との供述及び証人芳村力次郎供述書一四七頁「私が本日迄に自動車ブローカーをして扱いました自動車は全部台数五台であります省略………今迄扱いました書類の内一通もGHQの証明書の付いた事はありませんでした、其の様な車を扱つては悪い事で私も悪いと思つて居り乍ら皆がしていますので良いと思つてやつたのであります」以上の供述を綜合せば占領時代なる当時は事務担当官間に於ても公益上廃物利用の見地よりして寛大取扱方針であつた事が明瞭であつて従而当時自動車取引には本件に類する不正廃車証明書が相当流用されて居た社会の実情を証明するもので被告人等が余り良心にとがめず陥つた犯罪の動機が推察され同情の余地ある行為と信ぜられます。

三、公文書変造 昭和二十六年五月二十九日パツカード三十五年式の廃車証明書が何故か出して貰えなかつた結果同日夜北京亭に於て被告人は中島氏に対しバツカードは実は岐阜のブローカーから多治見警察署へ話が付いて手付金が取つてあるので今更解約するとブローカーの顔が無いから何とか骨を折つて載き度いと相談した処中島氏は一応課長に話し了解を得るとの話であつたが勢州館に移つてからは変造の相談になつたもので、被告人検事供述三一二頁「その時どうしたものか廃車証明書が出して貰えませんでした、処が売る相手が警察の人であり仲介に立つた芳村氏は非常に困却しましたので何とかして廃車証明を入手せねばいけないと苦慮し笹島の勢州館という旅館に中島氏と色々と相談した結果同氏は前に下附を受けて未だ使わずに居たフオード三十六年式の方の廃車証明書をパツカードに直して使つたらどうかと提案しました、それで私も万策尽きてこの案に賛成し早速恰度持つて居つた其の証明書を中島氏に渡しますと同氏は布切を水に濡らして証明書の車名欄フオードと書いてある字と年式欄の六の字を削つて消して了いました。それから後は私にやれと云いましたので私は証明書を同氏から貰い其晩は旅館に泊り翌日帰宅して家で車名欄に黒インクで、パツカードと記入し年式欄に五と記入しました」以上の供述であつて相被告人中島茂が廃車証明書の書直を発案した事実は、同人七回警察官供述書二七四頁「勢州館の二階に案内されて入浴後私は大変な事を引受けたと思いながら色々考えて居りました処よく自動車ブローカーが云つて居る廃車証明書の改竄する事に思い付き黄さんに改竄をする事を話をすると黄さんはフオード三十六年式伊藤万喜太名義の廃車証明書を出してこれを直して呉れと云うて出された」との供述があり本件有印公文書変造は相被告人中島茂の発案により被告人が加担したるが当時ブローカー仲間では本件の如き変造行為が為され居りたる世情の一端を示すものであり、被告人が万策尽きて賛成したとの供述は当時の心情を物語るもので本件公文書変造行為は機会の衝動により世情に厄されて知らず知らずに犯行に陥つたものであつて最も悪性の少い行為として斟酌を要する事件と思料します。

四、贈賄 被告人が相被告人中島茂に対し金員を交付したのは(一)初めは昭和二十六年三月十七日太閣荘で最初頼んだ廃車証明申請書の書方を教えて貰つた時封筒に現金二万円を入れて小遣にして下さいと渡したものである。(二)次は同年四月初頃中島氏より金が要るから貸して呉れと申出があり金二万五千円の小切手を渡したもので、(三)其の次は四月下旬で中島氏が金を不自由して居る様に見えたから取引所の方へ行道路上で金二万円の小切手を贈つたので (四)最後は同年五月初旬中島氏が被告人方に来て友達片野が神戸の方で検挙され面会に行く費用を貸して呉れと頼みに来たので現金二万円を渡した 事実であつて原判決第七摘示事実の如く四回贈与名義でなく贈与は二回で貸与名義二回の合計四回の金銭交付であつて貸与名義の金銭に就ては検事供述書三一六頁「私は同人には廃車証明書の件で色々世話になつて居りまして相当懇意になつて居つて困つて頼みに来たのを断る訳けにも行かず頼まれるまま現金二万円を渡しました中島は貸してくれと申しましても安給料の同人が二万円の金を返えすことはとても出来ませぬ事は結局返して貰えまいとは思いましたが私の方としては返す返さんは向うの自由意思にまかせて二万円直ぐ出しやつたです」との供述あり公判供述書「五十五 廃車証明を交付されるに至つた事の謝礼として金員を中島に贈与した事は間違ありませんか。礼ばかりでなく友だちになつたという意味もあります。五十七、二万五千円の小切手は中島にやつた積りですか。私は自由に使つて呉れと云つてやりました。」の供述を綜合せば右四回の金銭受授は原判決認定の謝礼のみならず友情による贈与であつた心情を証明するものであつて情状斟量すべき行為と信じます。

五、犯罪後の状況 被告人は現住所に於て清凉飲料水製造販売業を経営し尚現在東京都に於て昭和自動車株式会社を経営し実直に業務に精励して居る生活で其の犯罪後の行動は被告人検事供述調書三一三頁「十一、残つたフオード三十六年式と三十一年式の二ツは結局無籍の侭で東京の高木と云うブローカーへ三十万円で一方を十五万円で売つて了いました。以上述べた様な状況で正しくない方法によつて廃車証明書を入手したがパツカード分がうまく行かなかつた頃からポチポチ不正があち此方で問題にされるようになつたので其の後は私は十合位自動車を入手しましたが何れもちやんと籍のあるもの許りを買入れました」と供述して居り、本件失敗以後は決して不正な行為を為さざることを其の行動によりて証明致して居る被告人であつて再犯の虞のない人物と信じます。

六、刑罰の理想とする処は犯人に対し最少限度の害悪を加えながら其の悪性を匡正して社会に同化せしむるもので応報的に之を科すべきでなく」と云はれて居り単に一般警戒のみを考量して其の悪性の大小に深く考量を置かずして之を厳罰に処すると云うことは考慮する余地あるものと信じます。刑の量定に就ては情状を考量するの必要あるは論を俟たないのでありまして被告人の性格、教育、年令及境遇、犯罪の動機、犯罪の軽重、犯罪の自白、犯罪後の情況、人格等を考量して刑の量定を為すべきものと主張されて居ります。故に被告人の為に此等の諸点に御考慮を煩わさんとするものであります。(一)被告人は中流以上の家庭に生れ性温厚篤実にして高等教育を受けた青年実業家であつて社会的に信望ある紳士的人物であることは各証人の供述に於ても認めて居る通りであります。(二)本件犯罪は前述の通り占領時代に於ける機会の衝動により陥つた偶発的な犯罪であつて機会の衝動なかりせば再び犯すべき犯罪ではなく最も悪性の少き事件であります。(三)被告人は事実を全部自白して居ります。法の前に罪と為ると為らざるとに拘らず己の良心が己を責めて己の不注意、不謹慎の為め法廷に立つことにつき其の不徳を責め心に泣いて居ります。単に被告人ばかりではなく被告人の家族其他も皆心に泣いて無形には法廷に立つて居るのであります。(四)被告人は前非を悔い改悛を誓つて居り犯罪後は断じて不正行為を為さずと決意し之れを実践致し居る事実は前述の通りであつて再犯の虞のない被告人の人物と称すべきものあると信じます。再犯は刑法の最も憂うる処でありますが本件の被告人は決して同一の境遇に再び立つものではありません。社会的の地位を有し教育も受けて居る人の仕合せであります。法律が安心して恩典を与えても刑の目的は達し得らるると信じます。(五)被告人の社会的の地位であります。社会的地位を有する者が起訴せられたと云う事が世間に流転するときは是が一種の刑罰となるのであります其の刑罰たるや被告人一人の刑罰たるに止らずして一家一門に対する無形の刑罰であります。起訴せられたその事実が世間に喧伝さるる時被告人の感ずる刹那の感想は如何でしようか 精神的には極刑に処せられたる感想の起るものだそうであります。刑の執行は既に受けて居るのであります。何卒此の被告人の社会上の地位は悔悟の事実と共に最も重く見て載き度いと思います。

七、量刑 此の被告人に対して果して実刑を科すべき必要ありや、執行猶予は如何なる被告に与うべきや刑法の唯一の涙なる執行猶予は斯る被告人に与うべきものにあらざるか。刑の執行猶予を為すと否とは一に判官各位の自由裁量に依り情状に照して決定すべき問題でありますが法律は如何なる場合に執行猶予を与うべきかを明記せず単に情状に因りと記載して居るのであります。情状とは如何に之を解釈すべきか種々説明されて居りますが刑訴第二四八条起訴猶予の規定等を考量して本件被告人に対し此等の諸点に酌量すべき情状がないであろうか、執行猶予の制度を設けたるは犯人が刑を執行せられたると同じ苦痛を感じ判官に再犯の虞なき心証を惹起せしめ得る場合にあつては悉く恩典に均霑せしむるを以つて制度の精神なりと説き且犯人は刑名の宣告に畏怖し、他人が見て之を警しむとすれば特別予防としても、一般予防としても、刑罰の目的は二つながら達せらる訳でありますから何を苦んで、人の身体自由を拘束する必要があるであろうかと説いて居ります。斯る論旨よりせば被告人に対し刑の執行猶予の恩典を与えらるるも何等刑を軽しと主張するものなきを確信するのであります。然処原審は右諸般の情状事情を何等考慮する処なく被告人に対し懲役一年の実刑に処したるは刑の量定甚しく不当の判決であつて刑事政策上宜しきを得たるものに非ず寧ろ法の威力を示すと共に其の恩恵に浴せしめ社会に在つて職務に精励奉仕せしめ改過遷善の実を挙げしむるを以つて刑罰の目的に合致するものと確信致します。

弁護人加藤高允の控訴趣意

原判決は刑の量定が不当であるから破棄されるべきものである。

原判決は本件事案に付被告人中島茂に対し懲役一年六月の実刑を言渡したのであるが本件被告人の如きものに対しては刑の執行を猶予すべきものと確認する。(イ)被告人が本件行為を為すに至つた抑々の動機は全く他動的であつて所謂自動車ブローカー呂栄桂、岡鉄彌、黄双光の執擁な誘惑に抗し切れずして引摺り込まれたものである。被告人は本件犯行当時未だ二十五才の独身者であり当時登録係長であつた神谷基之の末輩部下として働いて居たものである。被告人の最初の事案である呂栄桂の関係に於ても登録係長であつた神谷基之及被告人の先輩である石井富雄と共に呂栄桂の饗応を受け神谷係長承認の下に附和雷同的にやつたものである。而して神谷係長は同種の事案に付責任の地位にあつた故を以て重き刑に処せられたのであるからその末輩部下であつた本件被告人は其の情状を斟酌せらるべきものである。現に石井富雄は別件に於て原判決を破棄せられて執行猶予の判決を言渡されたのであるから本件被告人も同様に処断されるべきものである。(ロ)終戦後の自動車登録事情 本件の如き事案は終戦後連合国軍の占領下に於ける特殊な状勢下に発生した事案で日本独立後の今日に於ては再発の余地は全く存在しないのである。抑々終戦後の混乱期に無籍の軍関係の乗用車やトラツクが沢山存在したのであるが当時自動車の所管官庁であつた警察署が相当ルーズに廃車証明書を発行して籍をつけていたのである。極度の物資欠乏の折柄輸送の円滑を図る為め無籍の自動車もなるべく生かそうということから各警察署長が証明書を出して軍関係の無籍車を整備したのである。当時愛知県警察部の保安課に勤務してその事情を知つていた神谷登録係長を始めその部下である被告人等は外国使節団から流れた外国車又は占領軍の軍人が日本を引揚る際処分した個人所有の自動車等が自動車不足の日本の社会に流れる際にそれ程悪いことであるとの認識もなく廃車証明書を発行したのである。この特殊な事情は特に斟酌されるべきものと思料する。(ハ)被告人は両親及四人の弟妹があり自ら長男として家庭的に相当の責任を負うべき立場にあり高等小学校卒業後昭和十四年十一月名古屋鉄道局多治見駅の駅員として就職後昭和二十年二月現役兵として満洲部隊に入隊する迄真面目に勤務して居たのである。終戦後シベリヤに抑留せられて昭和二十二年十二月復員翌二十三年三月愛知県道路運送監理局事務所に勤務し昭和二十六年七月本件により懲戒免職となり保釈後名古屋市瑞穂区雁道町渡辺モータースに事務員として雇われているのであります。此の被告人の家庭の状況及前半生の真面目な生活振も大いに斟酌せらるべきものと思料します。

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